市場原理主義の憂鬱

アメリカはあせっている。かつては自動車や鉄鋼など、世界のモノつくりの中心であった経済は、金融などのサービスに移行した。しかし、投機的バブルの崩壊によって大量の不良債権を抱えてしまい、現在、金融も身動きがとれなくなりつつある。失業率は実体では20%近くに高止まりしている。

その場しのぎの景気浮揚策を模索しているが、必ずしも成功してはいない。この苦境のなかで、エジプトのイスラム化とイスラエルの孤立化など、覇権国家アメリカとしての退潮も確実に進行している。何とかしなければジリ貧である。

自分の国がうまくいかないのであれば豊かな国(日本のことである)から奪えばよい。そこで覇権国家の特権である「ルール変更」を行うことになる。この一つの方法がTPPであろうか。ちなみに、アメリカがいま、一番必要なのは「農産物の輸出先」ではない。「不良債権の輸出先(押し付け先)」である。アメリカが他国の富を奪おうとするときに用いる理屈が「自由貿易」や「市場の開放」である。そして、その重要な理屈が「市場原理主義」である。

市場原理主義」とは、「市場に決定を委ね、政府を必要最小限にとどめるのが最良の方策である」という考え方である。ここで、「最良の方策」というのを「効率的」という意味ととれば、確かに、経済学では市場での競争的な生産・販売の結果として実現する配分が効率的(パレート最適)である、と主張している(厚生経済学の第一命題)。また、逆に、効率的(パレート最適)な分け方が競争市場によって実現できる(厚生経済学の第二命題)。もちろん、競争市場に欠陥はある。「市場の失敗」と言われているが、外部性の存在や情報の問題によって、競争市場の配分は効率的ではなくなる。このようなときには政府が「最小限の干渉」を行い、その失敗を補うことになる。

しかし、この理屈には大前提がある。この命題が成り立つためには、市場が「競争的」でなければならない、という前提である。ここで「競争的」(competitive)とは、市場において価格をコントロールできない、という意味である。独占企業や寡占企業が存在するような市場は競争市場ではない(だから独占禁止法ができたのである)。だから、市場原理主義が主張する「最良の方策」が正当化されるためには、独占や寡占の無い市場でなければならない。

しかし、アメリカが望む日本の市場の開放、特に、金融市場の開放について考えてみると、あらら、アメリカには巨大な金融機関がいくつも存在しているではないか。そして、世界の金融市場をコントロールしているではないか。この意味で、市場原理主義は成り立たないのである。この意味では、正当化の理屈としてアメリカが「市場原理主義」を用いるのは、きわめて不適切であろう。

とは言うものの、「正当性があろうと無かろうと、アメリカの利益になれば良いではないか」という考えも成り立つ。「市場原理主義」によってアメリカは豊かになるのであろうか。レーガン以降、規制撤廃(de-regulation) と減税による投資増を旗印にした市場原理主義によってアメリカは大きく成長したではないか、というものである。アメリカはレーガン以降、特に東西冷戦終了後、経済が成長し続けた。しかし、その成長は、投機的バブルによるものである。投資のかわりに投機が、言い換えると、モノつくりのかわりにギャンブルが経済を牽引する、というきわめて歪(いびつ)なものであった。そして成長の末路は、というと、バブルは崩壊し、大量の不良債権、競争力の無いモノつくり産業、そして失業者の群れが残されることとなったのである。結局、現実に市場原理主義を推し進めても、アメリカは決して豊かにはなれなかったのである。

現在、日本が巻き込まれているTPPにしても、基本的には市場原理主義である。これによって一時的にアメリカが豊かになったとしても、その結果はおそらくアメリカにとって現在よりももっと悲惨な結果しかもたらされないことだろう。ちなみに、TPPによって日本は不良債権を押し付けられるのであるから、かなり悲惨なことになろう。

そもそも、市場原理主義の何が問題なのだろうか。それは、市場原理主義をモノつくりだけでなく、金融業にも当てはめてしまったことであろう。我々の世界では、経済学が理想とするような完備市場(complete market)は存在しない。存在するのは不完備市場(incomplete market)である。そして、不完備市場では投機的バブルが発生してしまうのである。この発生を防止するためのさまざまな規制が、市場原理主義によって撤廃されてしまうと、投機的バブルによって経済が壊滅的な打撃を受けることになるのである。実際、大恐慌以降、アメリカではさまざまな金融規制が設けられたが、これがレーガン時代に撤廃されて以降、金融機関の抑えがきかなくなり、今日の状況を招くことになったと思われる。

では、市場原理主義を修正して、金融業を除外すればよいではないか。モノつくり産業に限定して、市場原理主義を進めればよいではないか、ということになるが、残念なことに、アメリカは金融業以外に見るべき産業が無いのである(実は軍需産業があるだが、戦争が無いと役にたたない)。したがって、アメリカが金融業を除外することはあり得ない。

さてさて、困ったものである。